2007/12/12(水)B☆B'sコラム

【#48】さくら

 ――なぜこの時期にタイトルが「さくら」なのか、先日のファンフェスティバルを見に来られた方なら気付くでしょうか?今回は、今シーズン限りでファイターズを去る事になったヒルマン前監督との思い出について、僕なりにお話ししていきたいと思います。

 僕がヒルマン監督(便宜上、ここでは「前監督」ではなく「監督」と表記します)と最初に出会ったのは、2004年、北海道移転初年度の名護キャンプのことでした。その頃、僕はまだファイターズのマスコットとしてデビューしたばかり。どんなパフォーマンスをしていくかも手探り状態だったんですけど、「デビュー戦」となる韓国のチームとの練習試合前に監督とトイレでバッタリ遭遇したんですね(笑)。そしたら、監督の方から「君はバク転とかするのか?私もアクロバットが出来るから、今日の試合前一緒にやろう」って声を掛けてきてくれたんです。ビックリしましたね。試合でバク転する監督なんて前代未聞だったし、どの程度アクロバットの「実力」があるのかもわからない。ましてや、試合前監督にそんな事をさせてもいいものなのか…。しかし、そう声を掛けてもらえた嬉しさもあり、「いいですけど、くれぐれもケガしない程度にしといて下さいよ」とだけ答えておきました。そして試合前――「計画」は実行されて見事に成功。その様子は当日のニュースなどでも流れました。見ていたお客さんも驚いたでしょうが、監督のバク転があまりに見事だったんで、僕の方がむしろビックリしましたね。失礼ながら、最初はバク転と言ったって素人レベルなんじゃないかとタカをくくってたんですけど、実際見てみたら僕よりむしろ上手だった(笑)。後で聞いたら、監督は子供の頃から器械体操のレッスンをきちんと受けていたとの事。どうりで基本がきちんと出来ていた訳です。
 その年のシーズンは、その後も何度かファンの前でアクロバットを披露していた監督でしたが、ある時を境にそれがなくなったのに皆さんはお気付きでしたか?同じく2004年、ファンフェスティバルのオープニングでの事でした。その時も、監督は僕と一緒にアクロバットの「共演」をし、バク宙を切ってくれました。着地がちょっと乱れたかなぁ?とは感じたけど、監督はそ知らぬ顔をしていたし、僕の意識もスタンドの方にばかり向いてたんで、その後特に気にも留めていなかったんです。そしてファンフェスは滞りなく終了し、監督も何もなかったようにアメリカに帰国していきました。
 ところが、年が明けて翌シーズンが開幕した頃、岩本通訳から「実はあのファンフェスの朝バク宙で着地した時、監督は靭帯断裂の重傷を負っていた――」と打ち明けられたんです。監督はあの日1日、そんな大ケガした事をファンの前では隠し通し、冷や汗を流しながらも全てのスケジュールを何一つ欠かす事なくこなしたと…僕はア然としましたね。その中には僕と一緒にやったジョイントライブとかも当然あったんですけど、僕も全く気付かなかった。監督のファンサービスに関しての「プロ根性」を見た気がしました。もっとも、それ以降は僕もさすがにアクロバットの誘いはかけづらくなったし、一度ジョークで「また一緒にバク転やりませんか?」と声を掛けたら、「もうケガしたくないよ」と笑って返されてしまいましたが(笑)。

 監督と僕との接点として、もう一つ欠かせないのが「音楽」。ご存知の方も多いとは思うけど、僕は毎年監督とファンフェスティバルでジョイントライブをさせてもらってました。北海道移転の前年、東京ドームで最後にファンフェスが行われた時、監督がソロでギターを弾きながらライブやってるのを見てて思ったんです。「僕がピアノを弾いて、一緒にステージが出来たらいいな…」と。そこで、翌年のファンフェス前にお願いしてみたところ、意外にも(?)スンナリ快諾してもらえて、実現の運びとなりました。
 でも今だから言えるけど、これ準備するの、毎回結構大変でした(^^;)。どんな曲をやるかとか、曲順をどうするかとかは、監督と話し合いながら主に僕が決めてたんですけど、シーズン終了後ファンフェスまでの期間中、監督はアメリカに帰国してる訳です。だから、そういうやりとりはほとんど国際電話かメールでしなきゃならないんですね。時にはなかなか連絡がつかない場合もありまして、いつも最終的に全部決まるのは本番の1週間前とか、下手すると3~4日前ぐらいになっちゃうんですよ。で、それから曲の歌詞を全部タイプして、日本語の歌の場合は歌詞を全部ローマ字で書き出して、歌詞の意味をちゃんと理解して歌ってもらえるよう全て英訳して…当然それも僕の役目な訳です。そして、監督と実際一緒に練習出来るのは、いつもファンフェス当日の早朝7時過ぎくらいから、わずか30分~1時間程度。曲のキーを決めるのもその時です。いつもそんなバタバタ状態の中でやってました。
 でもビックリしたのは、そんなギリギリのスケジュールの中でも監督がきちんと歌を覚えてきてくれた事。特に一昨年、初めて日本語の歌「大空と大地の中で」を歌ってもらった時、僕もなかなか時間が取れなくて、監督の手元に音源のCDと歌詞を届けられたのが、本番のわずか2~3日前になってしまったんです。「こんな短期間でちゃんと覚えてもらうのは厳しいだろうな…」と思っていたんですが、当日までにほぼ完璧に覚えてきてくれた。聞けば、日本に来る飛行機の中でずっと曲を聴きながら必死に練習してくれていたとの事…これには頭が下がりましたね(^^;)。
 しかし、このジョイントライブも去年一度だけ実現しなかった事がありました。去年はファイターズがアジアシリーズまで進出した為、ファンフェス前のスケジュールがお互いかなりハードだったんですね。今回もジョイントライブが可能なのか確認する為、アジアシリーズ前に監督宅を訪れた時、監督の声はすっかり枯れてかなり疲れ切った表情をしていました。11月の声を聞くまで監督という激務をこなしている真っ最中だったので、無理もありません。僕はそれ以上強くお願いする気にはなれませんでした。しかし、そんなハードスケジュールの中でも、監督はいつもわずかな休日も返上して様々なイベントに出て、ファンサービスはキッチリこなしていたんです。この姿には、僕も見習わなければならない点が多々ありました。

 僕は戦略面とかでの監督の貢献度について語る資格はありませんけど、あえて特筆しておきたい事があります。それは卓球台について(笑)。今年監督が選手の娯楽用にと卓球台をポケットマネーで購入した事、新聞記事などでご存知の方は多いでしょう。この卓球台の存在、傍から見ても間違いなく今年の優勝に大きく貢献していると思います。ちょうど札幌ドームの僕の控室の隣が選手の第2ロッカーになっていて、そこに卓球台が置いてあるんですけど、いつも試合前や試合後には、コンコンというピンポン玉の音と、プレーに一喜一憂する選手の絶叫がよく聞こえてきてました(笑)。最初の頃は「どうせ一時的なブームかな」と思ってましたけど、シーズン最後までブームが下火になる事はなかったですね。ロッカーのホワイトボードには、選手の卓球ランキング一覧が書いてあったりして。シーズン序盤、チームの成績が今ひとつだった頃にこの卓球台は登場したんですが、それに合わせるようにチーム成績が上昇していったのは、単なる偶然とは思えないんですよ。
 でも、卓球台の下には張り紙がしてあって、英語で書いてあったからおそらく監督が作ったものなんでしょう。「試合前・及び負けた試合の終了後40分間は卓球禁止」と――。選手達も、もちろんそこはきちんとわきまえてやってました。その辺の選手掌握術と言うんでしょうか、それが特に去年・今年は見事にハマってたように感じました。きっとそれも、5年間の日本での監督生活の中で、文化の違いなどに悩みながら身に付けられたものなんでしょうね。

 今回監督が日本を離れた主な理由として、家族、とりわけ子供達の生活環境について挙げていましたが、それも何となくわかる気がします。監督には息子さんのT.J.と娘さんのブリアナという2人のお子さんがいらっしゃいますが、試合の時球場にはよくこの2人の姿がありました。選手の練習が始まる前などに、監督がバッティングピッチャーをしながらT.J.にバッティングの手ほどきをしている姿もよく見かけたし、ブリアナはすっかりファイターズガールの一員となってグラウンドでダンスしている姿を目にしたファンの方も多いでしょう。このブリアナ、可愛い顔をして実はかなり根性があるんです。ファイターズガールのダンスが新しくなって振付が変わると、試合前から試合中にかけてずーっと1人で練習してる。それでも本番になって失敗したり振付を忘れてしまったりした日には、本気で悔し泣きしてるんですよね。そしてまた必死に練習…そうやって、短期間で難しい振付をほぼ完璧に覚えてしまうんです。ナイターで夜9時を過ぎると、年齢の関係で彼女だけ途中で上がらなくちゃならないんですけど、「最後まで出たい!何で私だけ帰らなくちゃならないの!?」と拗ねたり、本当に可愛い子でした。最後には日本語もかなり上手になってましたしね。そういう負けん気の強さは、むしろT.J.よりも父親に似たのかもしれない。監督が家族との接点を大切にしている分、そんな微笑ましいお子さん達の姿も垣間見る事の出来た日々でもありました。

 ヒルマン前監督が去り、来シーズンからは梨田新監督へと変わります。僕はまだ新監督とは面識がありませんが、ご本人の挨拶にもあった通り、一度「野球人としてのふるさとを失った」経験をされている方なので、前監督同様ファンサービスの大切さは充分理解してくれているでしょう。ヒルマン監督との別れの寂しさはありますが、僕達は前を向いて進んでいくしかない。だけど僕は今回のファンフェスで、ヒルマン監督に歌ってもらう最後の歌として、森山直太朗さんの「さくら」を選びました。その歌の最後に、こんな一節があります。

 さらば友よ またこの場所で会おう
 さくら舞い散る道の上で…

 あと10年くらいして、ヒルマン監督がメジャーの世界で監督経験を充分積んだ後、またこのファイターズに戻って来てくれる日があれば――そんな意味も込めて、僕はこの歌を贈りました。僕もそれまで変わることなく、再会出来る事を願って…。

 ありがとう、ヒルマン監督。またいつかお会いしましょう。