2017.07.18 TUE
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広報レポート<先人とファンの思いを背負って>

有原投手を出迎える大田選手
レフトへヒットを放つ松本選手

険しい道のりを、感じました。後半戦開始の大一番で、首位の東北楽天ゴールデンイーグルスに力と勢いの差を見せ付けられました。約1万人の観衆の思いに応えることはできませんでしたが、それが現実です。懸命に戦いましたが1点が遠く、勝負どころで失点を防ぐことができずに敗れました。残念ですが、認めざるを得ない完敗でした。
仕切り直しの後半戦の初戦を、函館からスタートしました。ウイークデーにも関わらず、試合前からぎっしりとスタンドが埋まりました。1年に1度の道南での公式戦。ファイターズの舞台裏も、地元色で染まりました。選手サロンには昼食時に、函館を中心に絶大な支持を誇る「ラッキーピエロ」のハンバーガーが並びました。名物の「大沼だんご」の差し入れもありました。選手たちも手を伸ばして舌鼓を打ち、瞬く間に胃袋へと収まっていきました。チームと同行している報道陣たちも「ラッキーピエロ」や函館名物の「ハセガワストア」の「やきとり弁当」など、ご当地グルメを堪能。一丸となって地域限定の「勝負メシ」でパワーを充電して気持ちを切り替え、節目の一戦へと臨んでいました。
厳かな1つの儀式も行われていました。栗山監督は球場へ到着するとタクシーへ乗り込み一時、球場を離れました。向かった先は、函館市内の「称名寺」でした。ここに、北海道野球界の偉人が眠っています。函館太洋倶楽部でプレーした名捕手、久慈次郎氏の墓参をしたのです。日本代表にも選ばれ伝説の剛腕、沢村栄治氏とバッテリーを組んだことも逸話として知られています。社会人野球の祭典、都市対抗野球の「久慈賞」の由来となったほどの不世出のプレーヤーです。選手兼任監督だった1939年に、札幌円山球場で送球が頭部に直撃して40歳で死去という壮絶なストーリーを持つレジェンド。滞在時間は、わずか10分。栗山監督は、その墓前にひざまずいて祈りを捧げ、心と心を通わせて函館で再スタートを切ったのです。
チーム状況は決して良好とは言えませんが、全力で光明を見い出すためにグラウンドへ立ち続けます。函館でリベンジするには、来シーズン以降となります。最後まで全力で声援をいただいたファンの方々の思いを背負って、明日から札幌ドームでまた再出発をします。

先発投手コメント

先発の有原投手

有原投手
<7回0/3 107球 打者29 安打9〈本塁打1〉 三振4 四死球0 失点・自責5>

「もう少し粘って投げられればよかったです。展開も変わっていたと思いますし、8回も投げ切れられるような投球をしないといけないと思います」

栗山語録

栗山監督

Q.有原投手が粘りながら投げました
「よく投げてくれたね。球数もいけると思っていたし、乗り越えてくれると思って信頼していた。点を取ってあげたかったね。自分たちの試合を持ち込めなかった」

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