2021/07/05 (月)

訃報

日本ハムファイターズ元選手、元監督の大島康徳氏が6月30日(水)午前、大腸がんのためご逝去されました。享年70歳でした。

大島康徳氏1

(写真:ベースボールマガジン社)

大島氏は大分県出身。中津工業高校から1969年、ドラフト3位で中日ドラゴンズに入団。1983年に36本塁打を放ってタイトルを獲得するなど、球界を代表する右の強打者として活躍されました。
日本ハムファイターズに移籍した1988年以降も勝負強い打撃でチームをけん引。1990年8月21日オリックス戦で佐藤義則投手から適時二塁打を放ち、当時最年長となる39歳10ケ月で通算2000安打を達成しました。

大島康徳2氏

(写真:ベースボールマガジン社)

【左から2000安打達成、43歳6か月での最年長満塁本塁打、引退試合での胴上げ】

1994年限りで26年間の現役生活にピリオドを打つと、野球解説者をへて2000年から3シーズンは日本ハムの監督を務め、主軸に据えた小笠原道大選手が最多安打、首位打者のタイトルを獲得。当時まだ入団年数が浅かった森本稀哲、田中賢介両選手にも出場機会を与え、その後優勝を争えるチームへと向かう礎を築かれました。北海道日本ハムファイターズ一同、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

大島康徳氏3

(写真:ベースボールマガジン社)

【左から岩本勉投手の投球を見守る、鎌ケ谷での練習の一コマ、引退する田中賢介選手へ花束贈呈】

経歴

中日(1969~1987)-日本ハム(1988~1994)―日本ハム監督(2000~2002)
選手成績:2638試合(歴代6位) 2204安打 382本塁打 1234打点 88盗塁 打率.272
監督成績:413試合 181勝225敗7分(2000年=3位、2001年=6位、2002年=5位)

大島康徳氏ご逝去に際して

■栗山英樹監督

「大記録を残され、長きにわたって野球界を背負われた大先輩であり、今はただ感謝しかありません。またファイターズが苦しかった時期を監督、選手として支えていただきました。もっと、もっと野球に関わっていきたかったはずでしょうし、悔しかったと思います。心残りは2023年に完成する新球場を見ていただきたかったこと。私たちにできるのはこれからも懸命に戦って、大島さんに喜んでもらえるファイターズを作っていくことです。ご生前のご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します」

■小笠原道大ヘッドコーチ兼打撃コーチ

「非常にショックで、言葉がありません。監督を辞められてからも親身になって気にかけていただきました。状態が悪い時には心配して連絡をいただいてアドバイスをもらい、いつも助けてもらっていました。引退後もプライベートで交流がありましたし、私にとって大きな存在でした。心よりご冥福をお祈りいたします」

■田中賢介スペシャルアドバイザー

「大島監督の1年目が私の1年目で、ドラフトで自分のくじを引き当ててくれたのが監督として最初の仕事だったと思います。ファイターズに導いてくださった方で、同じ九州出身という縁もあってか早い段階から起用してくれましたし、それもあって長くプロの世界でプレーできたと感謝しています。
入団から3年間お世話になり、打撃指導を受けても当時は仰ることがよく飲み込めなかったのですが、解説者としていらした時にはいつもケージの後ろからアドバイスをくださり、ベテランと言われる年齢になってからは指導されることが少なくなっていましたので、一言ひと言に有難みを感じていました。東京ドームでの私の引退セレモニーにはサプライズで花束贈呈にいらしてくださり、体調が思わしくないとお聞きしていた中でしたので思わず涙がこぼれました。お会いするたびに冗談めかして「バカヤロウ」と愛のこもった言葉をかけていただいたこと、この先も忘れることはありません。どうか安らかにお休みください」

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