2022/11/04 (金)
チーム

加藤豪将選手が入団会見

北海道日本ハムファイターズでは本日11月4日(金)、ドラフト3位指名の加藤豪将選手(前ニューヨーク・メッツ)と契約を締結し、東京都内で入団会見を開きました。背番号は「3」に決まり、ユニフォーム姿を披露。異色の経歴をもつ加藤選手が、日本球界での活躍を誓いました。

入団会見の様子01

加藤選手は「はじめまして。北海道日本ハムファイターズの加藤豪将です。今、そのような言葉を言っているのが本当に夢のようで、信じられないです。2週間前にドラフトされた時に、まさか自分がここに、東京ドームで記者会見を開けて、新庄監督の隣で話しているのが本当に夢のようです」と現在の心境を語りました。
会見に同席したBIGBOSS(新庄剛志監督)は「映像でずっとチェックしていた加藤くんを目の前にしたときに、素直にでかいなと。バッティングフォームがちょっと小さめに構える選手なので、小さいかなと思ったんですけど、意外とでかくて、大きいのを打てるバッターという期待感がある」と実際に対面して改めて印象を語りました。更に「僕もマイナーリーグで経験をしてきたんですけど、移動の距離とか、ハングリー精神の塊。10年間マイナーリーグの生活をしてきた加藤くんを本当にすごいなと。辛い思いをしてきた選手はかなり伸びると思う」と加藤選手の経験値を含めて期待を寄せました。

入団会見の様子02

2013年、MLBのドラフト会議でニューヨーク・ヤンキースから2巡目で指名され、長いマイナーリーグでの生活を経て、メジャーの舞台も経験。常に新しい道を歩んできた加藤選手は「メジャーの舞台に立って、楽しさや嬉しさ、達成感が無かった。それよりも自分を高められることが好きになっていた」とメジャーデビュー後の心境の変化を語り、日本球界入りを決断しました。「メジャーと日本の野球は別のスポーツだと思っている。一から勉強していくのが楽しみ」と新たな挑戦に目を輝かせました。
新人選手とは異なり即戦力の期待がかかりますが、プレッシャーについて問われると、「アメリカでは“Pressure makes diamonds.”プレッシャーが無ければダイヤは出来ないという言葉がある。プレッシャーが無い中でプレーするのはあまり意味がない思う。プレッシャーがあるからこそ、すごいプレーができる」と力を込めました。「新球場のエスコンフィールド。世界一のフィールドで日本一ではなく、世界一になりたい」。エスコンフィールド元年に頼もしい戦力が加わり、チームに勢いをもたらします。

加藤豪将選手メッセージ

2022年10月20日、その日もカリフォルニアの自宅でいつもの朝を迎えた。
目覚ましで起き、その日のスケジュールを携帯でチェック。携帯にたくさんの通知がある事に気づいたのは、その時だった。北海道日本ハムファイターズが自分をドラフト指名してくれていた。しかも3位で。ベッドから飛び起きた。
こんなに光栄なことはない。
しかし、メッツと契約中の自分にとって、その全く新しい生活をスタートさせる大きな決断をするには時間と勇気が必要だった。
自問自答の日々が続いた。

なぜ自分は野球をするのか?

6歳でイチローさんの野球に出会ってから、自分の夢はメジャーリーガーになることだった。そしてあれから21年後、2022年4月9日、ついにメジャーデビューをすることができた。しかし、なぜか夢がかなったという喜びが少しもなかった。翌日、私の頭に一つの言葉が横切った。
「The man who loves walking will walk further than the man who loves the destination(歩くことが好きな人は、ゴールを目指している人よりも遠くに歩ける)」
そのときピンときた。メジャーリーガーになることに喜びは無く、そのために毎日毎日、自分を高めるために夢中になるプロセスに喜びを感じていたのだ。
自分が野球をやる意味はそこにあった。
メジャーリーグを目指してのプロ9年を含め21年間、毎日、昨日より上手くなるために、すべてのことにトライしてきた。特にプロになってからは、チームのスタッフからたくさんのサポートをもらい、自分の体を分析し、必要なテクノロジーをすべて使い、できる限りのことをしてきた。その中で自分は日本人というものをさらに強く意識することになる。アメリカ人のスタッフから「君の体は特別」といわれた自分の肉体のタイプは、日本人の体を理解しているコーチやセオリーに合うのではないか?と考え始めるようになっていた。
私はまだまだ学び続けたい。この道を歩き続けたい。10月20日のドラフト会議以来、自分に問えば問うほど、日本で学んでさらに自分を高めたいと思うようになった。
ファイターズのコーチスタッフから何か大事なことが学べると信じられたことで、それが自分の歩き続ける道だと強く思うようになった。

北海道日本ハムファイターズとの関わり

自分は幼少期からファイターズの試合をいつも見ていた。
特に、2006年の優勝は忘れられない。多くのファイターズファンがそうであるように、私も当時のヒルマン監督(ヤンキース、マーリンズに所属していた時にお世話になった)、MVPだった稲葉篤紀選手(現GM)、華麗なプレーで感動を与えてくれた新庄剛志選手(現監督)を鮮明に覚えている。新庄選手は、メッツでのデビュー戦で一塁から二塁にタッチアップしたそのガッツと緻密さにも非常に感動し尊敬した。そのプレーは今でも鮮明に覚えている。
また、熱闘甲子園で大好きだった栗山英樹監督になってからもファイターズの試合を追い続けた。
その北海道日本ハムファイターズが自分をドラフトで指名してくれた。その喜びと驚きは言葉では表せない。この自分の中にあるわくわくする感覚は明らかだった。

日本人としての自覚と感謝

マイナー生活の間、いろいろな日本の球団関係者、マスコミの方々、日本人のファンの方々が、田舎のマイナーの球場まで足を運んで、応援の言葉をくださった。時には、カップうどん、おにぎり、おもち、日本のお菓子など差し入れてくれる方々もいた。食べ物があまりない時だったので、本当にうれしかった。アジア人の観客もいないような田舎町で、自分が日本人を強く自覚する瞬間だった。今でも大変感謝している。自問自答を繰り返す中で、自分が日本人だということ、日本の野球に触れてみたいという思いがある事に気づいた。
勝つためにチームに貢献できる選手になりたい。
このような考えがあり、来シーズン北海道日本ハムファイターズの一員としてがんばる決意をいたしました。
最後になりますが、遠くまで応援に来てくださったマスコミの方々、野球関係者の方々、日本人のファンの皆様、本当にありがとうございました。自分の気持ちが日本に向かった事を皆様にお伝えしたく、このようなつたないレターを送らせていただきます。
これからもよろしくお願いします。

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