2008.05.11 SUN
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先人たち

函館のファンに両手を上げ声援に応える森本選手

 歴史は不思議な繋がりと共に、途切れることなく刻まれる。

 函館は「野球の街」として古くから有名だ。伝説のホームラン王、ベーブ・ルースが昭和9年に米大リーグ選抜チームの一員として来日した際、函館でも日米野球試合が行なわれた。日本長期滞在に難色を示したルースを口説き落とし、最後に選抜チーム入りさせたのは、後に「日米野球の父」として知られる鈴木惣太郎だったと言われる。当時の函館には、現在温泉地として知られる湯の川に「湯の川球場」があり、そこが試合会場となった。くしくも、この遠征でファイターズ一行が滞在したホテルは、その湯の川にある。ルースらのスター軍団に立ち向かった日本代表チームの主将は、北海道野球史に大きな業績を残し、現在は都市対抗野球MVPの名前にもなっている(久慈賞)、函館オーシャン所属の久慈次郎だった。ちなみに久慈は初代野球殿堂入りの一人、函館オーシャンは現存するクラブチームで最も長い歴史を持ち、ファイターズが日本一になった2006年には創部100周年を迎えている。

 ファイターズが連敗を脱出した。不調だった投打の歯車を再び起動させるには、北国の野球史がスタートした土地と言っても過言ではない函館が、絶好の場所だったのかもしれない。接戦に決着をつける勝ち越し打を放った森本は、「今日は北海道のために勝ちました」と話した。「札幌だけじゃなく、北海道全域が僕らの本拠地だと思っていますから」と、森本。函館オーシャンスタジアム球場正面には、銅像となった久慈次郎がミットを構え、移り変わる北海道の野球をじっと見つめている。久慈が森本にあの台詞を言わせたのか。

 今日5月11日は、1982年に亡くなった鈴木惣太郎の命日だ。そして、札幌円山球場での試合中、不慮の事故で亡くなった久慈次郎は当時42歳。今日のファイターズ先発であり、昨年の函館シリーズでも好投したスウィーニーの背番号が42というのも、何かの偶然なのだろうか。 (敬称略)

■スウィーニー投手 <6回、打者27、球数95、安打7、四死球2、三振4、失点3、自責3>

「勝ち越した形でリリーフ陣に託したかったのですが…チーム連敗阻止のために、今日は何としても勝利に貢献しようとの気持ちをいつも以上に持ってマウンドに上がりました。決して状態は悪くありませんでした。ホームランが悔やまれます。あとはチームメイトに精一杯声援を送るしかありません。」

■宮西投手 <1回、球数13、打者3人、安打0、三振0、四死球0、失点0、自責0>

「左バッター(川崎、長谷川、松中)に打たれたら自分の価値がなくなる。初勝利がつくことは試合中からガンガン考えていました。ついにというか、思っていたよりも早かったと思います。」

■梨田語録

函館のファンに笑顔の梨田監督

「何事も勝負は最後の最後まで気を抜けないね!勝つ時も負ける時も…。小田の先制3ランで流れを呼び込んだにも拘らず、じわじわと反撃され同点に追いつかれる嫌な流れに変わってしまいそうな中、本当にラッキーな決勝点でしたね!!ただこれはチーム全体で「勝つんだ!!」という強い気持ちが生んだ決勝点ですよ!!小田の先制3ランも相手に対して攻撃的な気持ちで打席に入った結果だね!!故障者が多い中、三木も経験の豊富なところを生かして、どのポジションでもこなせるユウティリティープレーヤーでチームに貢献してくれていますね。ミスもあったが2安打と良いところでチャンスメイクをしてくれました。先発スウィーニーは、結果的には勝ち星を付けてあげられなかったが、今日も6回3失点と試合をつくってくれたね!!前回の西武戦ではちょっと引っ張りすぎて失敗したが、今日の投球内容で自信もつけただろうし、これからまだまだ成長していくと思いますよ!!決勝打は稀哲の執念が乗り移った打球でしたね!!気温10度を下回る寒い中、スタンドで応援を送り続けて選手の背中を後押しをしてくれたファンの皆さんには本当に感謝です!!連敗を止めたという点でも非常に意味のある試合でしたし、また今日は印象に残る勝利でしたね!!」

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