2022/10/28 (金)
チーム

杉谷拳士選手が“前進”会見

本日10月28日(金)、北海道日本ハムファイターズの杉谷拳士選手が、札幌市内の球団事務所で会見を開き、現役引退ならぬ“前進”を表明しました。

“前進”会見の様子01

いつも通り明るい表情で会見場に入った杉谷選手でしたが、「この度は何から話したらいいのか分からないですけど…」と話し出すと言葉を詰まらせました。「テストから入って今日まで14年間ファイターズでお世話になりました。今日は引退会見という言葉は使いたくありません。前進会見ということで、これからの人生を前進していきます」と自らの口で、プロ野球人生に区切りをつけることを発表しました。
「シーズンが終わってからたくさんの方に相談して、自分の将来のこと、ファイターズの将来のこと、体のこと、総合的な判断をした上で、このような形になりました」と悩み抜いた末に決断したことを明かしました。「正直、満足できる数字ではなかったですけど、そういった意味でも自分に区切りを付けるという意味で新たに前進するきっかけになった」と悔しさの中にも清々しい表情を浮かべていました。
「北海道で初めてグラウンドに立ったことを今も鮮明に覚えていますし、あの時の歓声というのは僕の野球人生でもずっと忘れられないもの」と応援し続けてくれたファンに感謝し、「今後は北海道のみならず、全国の野球ファンに恩返ししたい」と将来を見据えました。

“前進”会見の様子02

“前進”会見の様子03

会見の最後には、北海道日本ハムファイターズ前監督の栗山英樹プロフェッサーがサプライズ登場し、花束を贈呈しました。「父親のような存在」と語る元指揮官の登場に、驚きながらも涙を堪えきれませんでした。常に「前に進みなさい。拳士は拳士らしくやりなさい」と後押してくれた栗山前監督から、「長い間お疲れ様でした」と労いの言葉をかけられました。「やりのこしたことはないですか?」という問いに「ないです。これから前進しようと思っています」と力強く宣言。「前進」という言葉を何度も使い、人生の新たなスタートに目を輝かせました。

“前進”会見の様子04

“前進”会見の様子05

杉谷選手は帝京高校から入団テストを経て、2008年ドラフト6位で北海道日本ハムファイターズに入団。2011年に一軍デビューを果たすと、内外野守れるユーティリティープレーヤーとして、多様な起用に応えました。2015年にキャリアハイの成績を残すと、オフには背番号を61から2へ変更。スタメンから勝負所での代打、代走、守備固めとしても活躍しました。2019年には球団史上4人目となる、左右両打席での本塁打を記録し、自身をスギノールと命名。小技とパンチ力を兼ね備えたスイッチヒッターは、チームバッティングから試合を決める一発も放ち、ベンチに欠かせない存在でした。明るくユーモアのある人柄で、多くのファンから愛された杉谷選手。球界に笑顔を届け続けたファイターズの元気印が、ユニフォームを脱ぎ、新たなステージに進みます。

フォトギャラリー  

2011年入団会見でポーズを決める
2008年入団会見でポーズを決める

2015年キャリアハイの成績を残す
2015年キャリアハイの成績を残す

2019年セカンドで好守を見せる
2019年セカンドで好守を見せる

2019年左右両打席で本塁打を放ち自身をスギノールと命名
2019年左右両打席で本塁打を放ち
自身をスギノールと命名

2022年チャンスメイクしベンチを鼓舞する
2022年チャンスメイクしベンチを鼓舞する

2022年ヒーローインタビューでファンの声援に応える
2022年ヒーローインタビューでファンの声援に応える

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